妊娠小説
斎藤 美奈子

定価: ¥ 1,835
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おすすめ度: 
発売日: 1994-06
発売元: 筑摩書房
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着眼点が新しかった!
率直に言っておもしろいと思う。何よりまず着眼点が良い。加えて筆者自身の特質だろう
が、実直で即物的な文体と論考に親近感が持てる。
妊娠小説というのが「望まない妊娠」をする小説であるという定義が鋭い。妊娠は常に
(特に男にとって)「望まない妊娠」なのである。望まれた妊娠は「おめでた」などと
表現される。ただ望んでいないだけで女性は産みたがっている場合があるので、正しくは
「予期せぬ妊娠」だろう。
たしかに私たちが実生活で使う際も「妊娠」という言葉の響きには、それを言ったほうも、
聞いたほうの脳裏にもどこか後ろめたいという気持ちの余韻が残る。別に悪いことした訳
でもないのに。
妊娠小説とはこの非常事態で大きくストーリーが展開し始める小説のことだ。
内容は、文芸評論にありがちな文学の中に閉じこもって「あっちの作品ではこうで、こっ
ちの作品ではああで」という窮屈な思索にとどまっておらず、子供を堕すことが犯罪であ
った明治時代から、法的認可後もなお中絶批判を繰り返す論者と批判とフェミニストの応
酬が繰り返される戦後の世論の流れも踏まえられていて、妊娠にまつわる幅の広い論考が
展開されている。
この本が暴いたことの一つは、妊娠小説は類型学的に分類が可能で、村上春樹や石原慎太
郎のような高名で高尚な作家(とくに男性作家)であっても「妊娠」という現象を前にす
れば、いかに画一的で平凡な描写をしてしまうかということだろう。それは現実に男が彼
女に妊娠を告げられたときのリアクションがみな同じであるのと映し鏡のようなものだ。
彼女はそのことをあざ笑っているかのようにさえ思える。
意地の悪い筆者は、妊娠のことを「受胎告知」と呼ぶ。また妊娠小説は読んではじめて分
かり、読んでいて妊娠小説だとわかると頭の中でファンファーレがなるのだという。この
ようなブラックユーモアの部分を不快感を催すことなく笑えるのは、筆者に才能があるか
らだろう。
妊娠というモノサシだけでピンからキリまでを切る快感
いわずと知れた斎藤美奈子デビュー作である。
小説の中で「妊娠」が登場するや、「パンパカパーン」と表現してその「喜び(?)」を全身であらわし、あえて「妊娠小説喰い」へ邁進した著者、もちろん冗談でもご苦労様なことであった。
「ここにも」「そこにも」「あそこにも」といった具合に、「妊娠」に視点を固定すると、まことに多くのサンプルがざくざく見つかる快感に、さぞや作業がはかどったことであろう。
妊娠とは時間との闘いであるために、一旦登場するや「ハラハラ」が独特な緊張感となって響いてしまい、小説の中で解決を見るまで、その後の展開にずっと影響を与える。
斎藤はこれを「妊娠小説」と命名した。もちろん、これはフェミの視点なくしては有り得なかった。ただし、「妊娠小説」の時点でフェミを見破ったものは何%くらいいたのだろうか。
斎藤が本当に語りたかったのは、「お話」の都合で体よく妊娠させられたり、流産させられたり、はたまた中絶させられたりしているその勝手さがまかり通る男性優位の文学界と、それを当然のものとしている読者であった。「最近の芸能界も妊娠小説と化しているじゃないか。小説というフィクションの世界だけではなく、現実でもそうなのではないか」とも思えるが、それはやはり計画的と考えたほうが正しいと思う。斎藤のいう「妊娠小説」は、あくまでも「想定外」の妊娠でならなくてはならないし、小説という土俵上でのご都合を指す。
森鴎外であろうが、村上春樹であろうが、「妊娠」というモノサシのもとでは、同じ基準で裁かれる。それが痛快なのだ。渡辺淳一には「死ぬほど多くの」妊娠小説がある、と評したのは満塁ホームラン。
ジャンル捜索の視点
なかなかユニークな視点である。
序章から様々な文学作品を妊娠小説のまな板に載せて、
フェミニスト作家特有の口調で手を変え品を変えバサバサ捌いていく。
スコアボードで分析する方法などは少しばかり感心させられた。
ところが、後半になり息切れしてきたのか、
ろくな論証もしない一方的な決めつけが頻発し始め(特に語り手たちの誤解のくだりから酷くなる)
文章も愚痴っぽくなって退屈になる。
結果、一発芸が間延びしてしまったような印象の読後感。
